睦月
駆逐艦 | 名称 | 睦月 |
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[添付] | 国 | 日本 |
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抗堪性 | 10300 |
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防御性 | 750 |
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機動性 | 3347 |
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主砲 | 346 |
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魚雷 | 1628 |
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防空 | 564 |
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艦艇紹介 |
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睦月は峯風型の派生型であり、 最も重要な進歩は今までにない口径の610㎜3連装魚雷発射管を装備し、 射程と威力が飛躍的に向上したことである。 |
艦艇スキル |
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エンジンブースト 最大航速+10%、20秒持続 |
ゲーム内での特徴・評価
特徴
評価
詳細ステータス
基本情報 |
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艦名 | 睦月 |
艦級 | 睦月型駆逐艦 |
進水 | 1926年 |
排水量 | 1315トン |
全長 | 102.7メートル |
幅 | 9.2メートル |
出力 | 38500馬力 |
抗堪性 |
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HP | 10300 |
防御性 |
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装甲 | 330 |
対水雷バルジ | 420 |
貫通抵抗 | 10.00% |
異常状態抵抗 | 10.00% |
機動性 |
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最大速度 | 36.12ノット |
最大出力への到着時間 | 7.20秒 |
転舵速度 | 10.87度/秒 |
転舵所要時間 | 4.35秒 |
砲 |
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主砲 | 120mm45口径3式 4X1 |
単発ダメージ | 330 |
装填時間 | 6.00秒 |
射程 | 6.30キロ |
貫通率 | 2.00% |
貫通ダメージ | 150.00% |
発火率 | 2.00% |
旋回速度 | 17.00度/秒 |
魚雷 |
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魚雷 | 610mm93式 2X3 |
単発ダメージ | 3800 |
装填時間 | 35.00秒 |
魚雷射程 | 7.50キロ |
魚雷速度 | 76.41ノット |
貫通率 | 10.00% |
貫通ダメージ | 125.00% |
進水率 | 17.00% |
旋回速度 | 28.00度/秒 |
防空 |
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防空火力 | 270 |
防空射程 | 3.96キロ |
▼元ネタ
▲元ネタ
- 佐世保海軍工廠で建造され1926年(大正15年)3月25日に竣工、佐世保鎮守府に所属。
- 当時、駆逐艦の雷撃力に不満を抱いていた海軍は、従来の神風(II)型に強力な61cm魚雷を装備させ予備魚雷を全発射管分6本に増やしてみた。それが彼女たちである。
太平洋戦争の参加した駆逐艦の中でもかなりの古兵なのだが、強力な雷装を持つため開戦時には一線級の戦力と見做され各地を転戦。当然消耗は激しく、結局姉妹全員戦没した。
- 睦月型は峯風型の構造を踏襲しているため、しばしば峯風型、野風型、神風(II)型、二等駆逐艦の樅型(峯風型の小型版)、若竹型と共に「峯風系列*1」と括られる。
快速と軽快さを誇った前型の神風(II)型や、原型の峯風型と比べると、雷装増強や燃料タンクの増設などで重量が増したにもかかわらず機関がそのままだったので速力は低下。
ただ船体がちょっと伸ばされ艦首の形を変更されたりして*2額面では現れない外洋航行速度はずっと向上している。
また燃料搭載量を増やしたため、航続力も大幅に伸び、外洋型駆逐艦に近い性能を得るに至っている。
- ただ艦橋は下回りが鉄板で覆われている程度で、窓ガラスはおろか屋根すら無いというお察しレベルのもの*3で、第四艦隊事件の際には妹ともども波で艦橋を潰されたりしている。
典型的な船首楼船型であり、舳先部分を乗り越えてしまった波は、その直後の1番魚雷発射管があるウェルデッキに落とされ、艦橋へ打ち込まないようにしていた。
- 当然1番発射管はいつも大波を被ることになり、ここに配員されると酷い目にあうことになる。後にシールドが装備されて、負担は幾分軽減された。
- そんな構造なので、彼女たち旧式駆逐艦の乗員、特に艦橋の士官の身なりはひどいものと相場が決まっていた。
クシャクシャの軍帽にヨレヨレの軍服、雨合羽の首には海水よけのタオル。足元は草履で、徽章もボタンも短剣も緑青を吹いている。
夏など下着シャツ一枚に雨合羽というビリー提督スタイルで「艦橋はやっぱり涼しいな」と澄ましている横着者もいたとか。
もはや海軍というより海賊だが、それだけ思い切り羽根を伸ばす余地があり、乗員たちも一家族のように仲が良い。
お行儀や型にこだわらない典型的な「水雷屋気質」が息づいているのもこの種の旧式駆逐艦であった。
- 火力も12cm単装砲>12cm単装砲4基4門と、すぐあとに続く吹雪型の12.7cm連装砲>12.7cm連装砲3基6門の足元にも及ばない…というより、特型がそれだけ革新的だったのだが。
- 参考までに同時代に建造された英国の駆逐艦アマゾンは12cm(4.7in.)単装砲4基4門、イタリアのナザリオ・サウロ級駆逐艦は12cm連装砲2基4門。当時の駆逐艦としては常識的な砲力を持つ艦であった*4。
- 睦月級は魚雷をそれまでの53.3cmから61cmに強化しているため、世界最高クラスと言っていい水雷性能を誇っていた。
- 建造当時、日本海軍の駆逐艦は番号名であり、睦月の
真の名前当初の名も「第十九号駆逐艦」であった。
当時、海外でも番号名の艦艇は珍しくなかったが、そこはモノにこだわる日本海軍。番号じゃ味がないので、昭和3年に全ての駆逐艦に名前が付けられた、海軍GJ!
八八艦隊計画で駆逐艦を大増産するので艦名が足りなくなるのを心配して番号にしていたのが、一連の軍縮会議でそんな心配する必要がなくなったからというのは内緒だ。
- 以下、「第二十一号駆逐艦」→如月、「第二十三号駆逐艦」→弥生、「第二十五号駆逐艦」→卯月、「第二十七号駆逐艦」→皐月、
「第二十八号駆逐艦」→水無月、「第二十九号駆逐艦」→文月、「第三十号駆逐艦」→長月、「第三十一号駆逐艦」→菊月、
「第三十二号駆逐艦」→三日月、「第三十三号駆逐艦」→望月、「第三十四号駆逐艦」→夕月となる*5。
- 睦月から卯月までは奇数の番号が振られているが*6、皐月から最終艦の夕月までは通しの番号が振られている。
- 12人姉妹で最初に睦月と来れば残りも旧月のような気がするが、なぜか8月の葉月はハブられ*7、9月が2人いる上に、10月以降はなくて*8、残りは月の満ち欠けの名前になっている。
- ちなみに、睦月は一月で彼女は一番艦なのだが、竣工順で如月と皐月の方が年上。
- なお、艦名は単に順番につけただけで、進水日・竣工日などとは関係ない。艦名と一致するのは文月の竣工日(ただし新暦7月)くらいである。
- ここで使われた月名の艦名のほとんどは明治・大正時代の駆逐艦で使われており*9、睦月型のは二代目なのであるが、「睦月」だけは使われておらず、睦月型睦月が初代となる。
どうやら、初代神風型建造当時の天皇陛下(=明治天皇)の御名が「睦仁」なので、同じ字を使うのは恐れ多いとして使われなかったらしい。*10
- なお、海上自衛隊のたかみ型掃海艇の12番艇が、瀬戸内海の睦月島に由来して命名されているが、「むつき」ではなく「むづき」である。おしい。
- 進水は1925年7月23日、竣工は赤城の丁度一年前、重巡で一番古い古鷹の6日前の1926年3月25日で、全ての重巡よりも古く、川内型以前の軽巡洋艦よりは新しい。
- 彼女の所属は上記の通り第30駆逐隊。
- プラモのパッケージなどで迷彩塗装を施された姿を見ることが多いが、これは昭和16年にパラオ・コロール泊地で試験的に施された「ダズル迷彩」と呼ばれるパターンで、米英軍の艦艇に多く採用された迷彩である。
- 太平洋戦争開戦時には一般的な軍艦色に戻された説が有力。また睦月だけでなく、如月にも迷彩塗装が施されたという資料も存在する。
- 先述の第四艦隊事件では三角波*11によって艦橋が圧潰。
航海長が頭蓋骨圧迫で殉職し、一時操舵不能となって遭難しかけたが、水兵の一人が嵐の中命懸けで艦最後部の第三兵員室まで向かい、人力操舵装置を操作してなんとか最悪の事態は避けた。
- 太平洋戦争ではウェーク島攻略作戦やガダルカナル島作戦などに参加。1942年8月25日にガダルカナルで作戦に従事中、爆撃により沈没しつつある輸送船金龍丸の乗員の救助中に、B-17の爆撃を受けて撃沈されてしまう。
- 本来は第二水雷戦隊での護衛であったが、先に旗艦「神通」が被弾してしまい、司令官を載せたまま離脱してしまっていた。*12
- この時睦月の乗員は、弥生に救助されている。
- その弥生も、約一ヶ月後に睦月と同じく航空攻撃により撃沈されてしまった。
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